変わりゆく世に面白く

中小企業診断士。ウエスト・アイ・ランドコンサルティング代表。会社員としてネットショップ支援業務に19年間従事の後山口県萩市へ移住。 地域おこし協力隊として従事しつつ独立。スモールビジネスとは何かを自ら実践しながら追求する。

カテゴリ: 本棚

065

ここ2~3日、台風の影響か西日本各地は猛烈な暑さに見舞われています。外を歩いているだけでオーブンの中にいるような気分でした。しかし72年前の今日、広島の人たちが経験した熱さはこんなものの比ではなかったはず。

「髪は縮れ真っ黒い顔をした人々が、焼けただれ裸同然ではがれた皮膚を垂らし、燃え広がる炎の中を水を求めてさまよう。~」広島市の松井市長は、「平和宣言」の中でこのような原爆の悲惨な状況を想像するように促し、そのうえで為政者に対し、核兵器の非人道性の認識を深めた上で、自国のことのみに専念して他国を無視することなく、共に生きるための世界をつくる責務があるということを要求しました。

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しかしながら、核兵器の数は一向に減らずむしろ拡散してしまい今日を迎えています。広島市立大学広島平和研究所監修「なぜ核はなくならないのかII」(法律文化社)では、11人の著者がこのような現実について分析を加え論じています。

その中で、ロバート・ジェイコブズ広島市立大教授は米国社会が「ヒロシマ」をどうとらえているかについて言及しています。まず、原爆が落ちていなければ第二次大戦は継続され100万人以上もの犠牲者が日米双方に出たという見方が大方を占めているということ。原爆直後の広島の悲惨な状況を見て米国市民は「ヒロシマ」と言う言葉を自戒の意味としてよりも「核兵器に対する恐怖」と同義にとらえるようになったこと。ソ連が核兵器を保有するようになり米国の都市が「ヒロシマ」と化さないように核保有が正当化されていったこと。などを指摘しています。

また、この本の編者でもある水本和実氏は日本の状況について、そのような米国の核抑止力に頼る安全保障政策を進め、近年は北朝鮮や中国、テロへの対策として一層その傾向を強めていること。そのために外交方針としても「現実的な実践的アプローチ」をとるようになったことを指摘しています。
事実、先日採択された国連の核兵器禁止条約に対し「核保有国と非保有国の溝を深める」として反対の立場を示しました。

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各国の思惑によりなかなか進まない核廃絶ですが、それでも日本国憲法が掲げる理想に基づき、この平和宣言が求めるような「核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に向けて真剣に取り組む」ことを我々は課されているように思います。なぜなら被爆者が経験した悲惨な体験や願いは、各国の思惑や戦略とは全く別の次元で存在し続け、それを闇に葬ることは許されない立場にいるのですから。

日本国憲法
前文
~前略~
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、先生と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

広島市-平和宣言【平成29年(2017年)】
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1110537278566/ 

002

 私は商店街を歩くのが好きで、旅行に行っても観光地に行くより商店街を見て回る方がテンションが上がってしまいます。しかし、地方都市の商店街というのはご周知のとおり「シャッター通り商店街」などと揶揄されて厳しい状況におかれており、結果、高齢者などの買い物弱者を生み出すという問題もはらんでいます。

この本の筆者である新雅史氏は、父親が商店街の商店主だったこともあり、こうした問題に対する意識から、商店街のなりたちから衰退した経緯に至るまでを、その形成理由と政府の保護政策という観点から考察しています。

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本書によれば、日本に点在する商店街のほとんどは「伝統的なもの」でもなんでもなく、第一次大戦・第二次大戦後に発生した農村から都市部への労働人口の流入の受け皿のために「発明」されたものであり、大きな資本も持たずに商いを始めた彼らが都市部で大量に失業しないために、大規模小売店から保護することにより成り立ってきたものであると指摘しています。

しかしながら、高度経済成長を経てオイルショックを迎えると、そこからいち早く立ち直った日本型企業に勤める労働者こそが日本経済を支える主役となり、結果、保護政策を解除する規制緩和が進み自営業者層は衰退を加速させることになります。 

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筆者はこうした商店街の衰退により、前述のような買い物弱者の発生や、コミュニティの崩壊といった弊害を指摘し、地域を支えるための規制が必要であると提案をして本書を締めくくっています。

私もこれ以上商店街が衰退してしまうのは、地域の賑わいや雇用創出の面で問題があると感じています。ただ、小規模小売店の保護という規制だけに頼るのは限界があるのではないかと思います。と、いうのはこれまでのこうした保護政策は、都市部に流れ込む労働人口の抑制という文脈で進められてきたものであり、労働人口が減少してきた現在はその必要性も薄れてきています。また、長期的には需要が減少することから保護するだけでは先行きは見通せないと考えられます。

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最近、商店街の中に、若者たちが集まって自由に新しいビジネスができるインキュベーション施設のような店舗がみられるようになりました。こうした取り組みにより新ビジネスの立ち上げ期の支援を行うことが今後の商店街活性化のためには必要なのかもしれません。
もしもその中から国際的にも競争力のあるような企業が生まれてくれば、その地域が飛躍的に明るくなるのではないかと夢を見てしまいます。

商店街はなぜ滅びるのか~社会・政治・経済史から探る再生の道
新雅史[著] 光文社新書 

007

昨年の大河ドラマ「真田丸」は大ヒットだったようですね。いつもはお堅い大河ドラマですが三谷幸喜氏の軽妙な脚本で肩が凝らずに歴史を知ることができたのではないかと思います。

私の場合、真田昌幸、信之、信繁(幸村)の父子の物語をはじめて知ったのはこの池波正太郎の小説「真田太平記」でした。1985年にNHKのドラマにもなり、真田丸では父・昌幸を演じていた草刈正雄さんが、真田太平記では幸村の役を演じていたことで、昨年もその場面がよく紹介されていました。この小説、新潮文庫版で12巻にも及ぶ大長編だったのですが、テンポの良い文章ですぐ次が読みたくなり、あっという間に全巻読み終えた覚えがあります。

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大河ドラマの真田丸と大きく違ったのは、幸村が大坂夏の陣でこの世を去った後の信之の生涯まで描かれていることと、移ろいゆく戦国の歴史の流れのほかに真田家を支える「草の者」と名付けられた忍びの者たちの動きが中心的に描かれていることです。

とくに「草の者」のなかで「お江(こう)」と呼ばれる女忍びの存在が大きく、全巻を通してその生涯が描かれています。「お江」は敵方の忍びの攻撃をかいくぐりながら、諜報活動で得た情報を真田家に提供したり、ときには直接家康の首を狙うなど大胆な行動をとり、真田家のために生涯を尽くします。何度も命を狙われるピンチに見舞われながらも機転を利かせた行動で最後まで生き延び、真田父子の生涯を見守ります。

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「お江」はおそらく架空の人物であると思われます。こうした人物を描いたのはひとつには真田父子のだれか一人だけにスポットをあてるのではなく、「お江」を通した客観的な目で真田家を描きたかったということがあるかと思います。

あともう一つは、群雄割拠する戦国時代から、豊臣の時代、徳川の時代とめまぐるしく世の中の秩序が変わる中、女性という一見弱い立場の人間ながらも、世の中の真理を見極め何がもっとも正しいかを考えて行動することで、強くたくましく生きることができる。そんな応援歌を現代人に投げかけているようでもあります。

ISの台頭や、EUの団結力のほころび、そしてアメリカでのトランプ大統領の誕生と今まさに世界の秩序が大きく揺らぎ始めている現代、名もなき人間が混沌とした世を生き抜くためのヒントを「お江」は与えてくれるかもしれません。

真田太平記 [作]池波正太郎
新潮文庫 第1巻~12巻 

007

 すぐに本棚がいっぱいになってしまうために、普段マンガ本を買うことはほとんどないのですが、この本はいてもたってもいられずに思わず書店に買いに走ってしまいました。

もうすでにご存じの方も多いかと思いますが、昨年11月から公開中で、あまちゃんで好演した女優のん(能年玲奈)が主演声優を務めたことでも有名になった同名の映画の原作本です。

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11月末に映画の方を先に観てきました。
舞台は、戦時中の広島、呉。昭和19年、19歳で広島から呉に嫁いできたすずが、物がない中でも毎日を工夫して過ごしていく日常の様を描いた作品。画風もとても柔らかなタッチであたかも平和な世の中にあるような日々が続いていきます。しかし物語が後半に進むにつれ、私たちが知っているような歴史の渦に必然的に巻き込まれていき、すずの周りで起きる衝撃的な出来事に胸を打たれずにはいられませんでした。

原作本は、上・中・下の3冊に分かれており、読み進めていくと映画には盛り込まれなかったエピソードもいくつかあることに気づきますが、全体のストーリーに違いはありません。枠外にそのエピソードに関する注釈が事細かに書かれており、非常に綿密に取材をされて書かれていることが分かります。だからこそ、この物語がこれほどリアリティを持って多くの人の心を揺さぶっているのではないかと思います。

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現在、原作本の方は上・中まで読み終えて下巻を読み始めているところなのですが、これから起こる出来事を知っているが故に胸騒ぎを抑えられずにはいられません。しかし、逆に言うとすずたちのように当時この時代を生きた人々はその後起こることなど知りようもなかったわけで、今私たちが平和の裡に生きていることの意味を突き付けられているように感じてきます。

映画や原作を観たという多くの人が評しているように、非常に良い作品ですのでぜひ見ていただきたいと私も思います。

この世界の片隅に [作]こうの史代 双葉社
上・中・下 定価(各648円+税)

008

 私は鉄道旅が好きで、青春18切符を片手によく鈍行で遠くまで出かけたりします。先日帰省した際も各駅停車にゆられながら横浜との往復の旅を楽しんできました。鉄道旅の良さは何と言ってもゆっくりと本を読むことができること。と、いうことで年末年始で読んだ一冊を本棚に追加。

この本を読もうと思ったきっかけは、「モノを買う」という現代の生活において最も基本的な行為でありながら、どのようにして現代のようななんでもすぐに手に入る社会が築かれているのかを知りたいという素朴な疑問からでした。 

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この本は、大学の講義にも使われていそうな構成で、前半の第1章~10章までは小売業・卸売業の役割から、流通において通説となっている基本的な理論を解説しています。後半の第11章~15章では現在の流通業を取り巻く環境から、業界にどのような役割が求められているかの提言が示されています。

とくに後半部分で強調されていたことは、これまでは商品を売ることに注目が集まっていたがこれからはそれがどのように消費されるかまでを提案することが求められているということ。すなわち消費者の視点からどのようなものが求められ、それに適した流通システムを構築することが大切であるということです。

流通業は消費者に最も近い存在であり今後もその主導権を握っていくことが予想されそのチャンスを生かしつつ、買い物弱者対策、中心市街地の再整備、品質・安全に対するアフターサービス、情報倫理・マーケティング倫理の遵守が求められていると述べられています。

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単に、物欲を満たすためではなく、健全で文化的な生活を維持するためにどのようなモノやそれに付随するサービスが必要なのか、それを考え抜いた企業こそがこれからの社会に必要とされるということかと思われます。

ベーシック流通論 [編著]井上崇通・村松潤一  同文館出版
ISBN978-4-495-64751-3 定価(本体2,500円+税) 

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