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数年前、向学のためにマルクス・エンゲルスの「資本論」や、アダムスミスの「国富論」を読み漁ったことがあります。「国富論」の方はまだ何とか読めたのですが、「資本論」は文体が難解なうえに文量も「国富論」の何倍もあり、ほとんど字面を追ってるだけで頭に入ってきませんでした・・・

自由主義社会においては、様々な考え方の書物を自由に読むことが出来ますが、街中にある「遺構」となるとそう簡単ではないようです。

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旧東ドイツの首都、ベルリンにはマルクスやエンゲルスの像など社会主義時代の遺構が数多くのこっているそうです。こういったものはイデオロギーを市民に植え付けるも党の宣伝の産物であり東欧諸国の多くは、冷戦後に撤去をしてしまいました。しかし、ベルリンでは政府が文化財として保護することを決め今に至るのだそうです。

欧州には体制転換のたびに戦禍の渦にのみ込まれた暗い過去があります。ドイツはこのため「感情論を排し学術面から過去を掘り下げる」という考え方が強く存在しています。プロイセンの劇場の近くにナチスの官庁街が残り、社会主義の遺構も残されているのはこのためです。

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日本国憲法第23条では「学問の自由を」規定しています。「学問の自由」は、思想の自由や表現の自由の中に含まれる概念と考えられ、明文化されている例は多くないようです。これは大日本帝国憲法下において、美濃部達吉の学説が政府によって弾圧を受けた例などがあり、その反省として設けられた条文であるようです。

学問とは、既存の心理を疑い、批判することによって新しい真理を発見するためのもの。ナショナリズムなどによって干渉を受けることになれば、結果的に人類の進歩を阻害することになるということです。

日本国憲法 第23条
 学問の自由は、これを保障する。

日本経済新聞 7月31日(日)付 朝刊より
http://www.nikkei.com/article/DGKKZO05477230Q6A730C1CR8000/